コメンテーターの竹田圭吾さん死去

 

フジテレビ系情報番組「Mr.サンデー」「とくダネ!」などにコメンテーターとして出演していたジャーナリストの竹田圭吾さんが10日午後2時ごろ、膵臓がんのため都内の病院で死去した。51歳だった。竹田さんは昨年9月にがんを番組内で告白した後、やせ細った姿で出演を続け、鋭い舌鋒で時事問題を斬り、最後までジャーナリストとして使命を貫いた。

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 竹田さんは2013年11月、病気療養を理由にすべての出演番組を一時降板。翌14年2月には早期復帰を果たすが、変わり果てた外見に、インターネットなどでは心配の声が相次いで寄せられた。

 昨年9月の「Mr.サンデー」出演中に、がんを突然告白。抗がん剤治療の副作用で頭髪が抜けるため、かつらを着用して出演していることも明かした。直後のツイッターでは「がんが見つかったら生き方の中で何を優先しようかな、と検診の段階から思い浮かべていくのが大事ではないかと、自分の体験からは思います」と気丈につづりながらも「どれだけ治療が順調で、家族に寄り添われて、友人や仕事仲間から励まされても、孤独からは絶対に逃れられない」とも記していた。

 1964年12月30日、東京都中央区生まれ。88年に慶大文学部卒業後、アメリカンフットボールの専門誌を経て、93年に出版社「TBSブリタニカ」入社。「ニューズウィーク日本版」の編集部に入り、2001年1月には編集長に就任すると、硬質な報道だけでなく、ライフスタイル情報を充実させる誌面刷新を行い、部数の下落傾向に歯止めを掛けた。10年の退社後はジャーナリストとして活動。テレビ、ラジオなどに精力的に出演した。

コメンテーターの竹田圭吾さん死去 がん告白しテレビ出演続ける : スポーツ報知

 

 

 

経歴

東京都中央区生まれ。芝中学校・高等学校、慶應義塾大学文学部史学科卒業。
アメリカンフットボール専門誌の記者を経て、1993年(平成5年)、TBSブリタニカに入社、『ニューズウィーク日本版』編集部に入る。1998年(平成10年)に副編集長、2001年(平成13年)から2010年(平成22年)10月まで編集長を務めた。
その後フリーランスとなり、主にテレビの情報番組でコメンテーターとして活動。2010年(平成22年)10月6日より、東京都中央区教育委員を務めた。一時体調不良を理由として休養したが、後にテレビ番組に復帰するとともに、Twitterなどインターネット上で発言をおこなう。
2015年(平成27年)9月27日、コメンテーターとして出演するフジテレビ系の情報番組『Mr.サンデー』において、自らががん治療中でかつらを着用していることを告白した。

 

 

がんや病気による、芸能人や有名人の激やせや報道が最近頻繁に

ありますが又一人「骨肉腫とかつら」をカミングアウトした人物

が現れましたがまた痩せたとの噂も。


情報番組などにレギュラーを持つジャーナリストの竹田圭吾さん


9月27日放送の情報番組「Mr.サンデー」でのカミングアウト

に対してのコメントは・・・

■ガンをカミングアウト、強い人だな。

■なんてかっこいい人なんだろう。

■病気はがんだったのか。

■カツラだとは思わなかった。

■前向き!負けないで欲しい。


などといったような驚きと称賛の声がネット上に溢れました。


この日の番組は、肝内胆管がんで亡くなった川島なお美さんや、

乳がんで療養中の北斗晶さんの特集を組み、最新のがん検診の取

り組みなどを紹介すという内容でしたが、竹田さんはこの特集の

最後の方で自身のこれまでについてカミングアウトしました。


最近のコメントは・・・


■また痩せやようですが大丈夫ですか?

■痩せたようですがコメントは相変わらず鋭いです。

 

 

竹田圭吾さんが体調を崩した時期やその病名とは!・・・】


竹田圭吾さんはフリーとなって、情報番組のコメンテーターとし

て順調に活躍の場を広げていたのですが、

2013年10月頃突然体調不良を理由に、出演していた番組す

べてを降板してしまいます。


あまりに突然の降板だったため、重病説も囁かれていたのですが

本人はもちろん、関係者などからも病名や病状などについて一切

の説明はありませんでした。


一部の情報では2013年4月に行われた安倍総理大臣とロシア

プーチン大統領の共同記者会見で、TBSの記者が質問した内

容がインターネット上で「プーチンを怒らせた」として同記者に

対する批判が巻き起こった時、竹田圭吾さんが自身のTwitterで、

「アホか。ブチ切れさせてなんぼでしょうが」と記者を擁護した

ことで批判にさらされたのですが、このことが体調不良の原因に

になったのではとも言われています。


ただジャーナリストという仕事がら、このような批判は想定済み

でしょうし、こんなことぐらいで編集長まで勤めた人間がへこむ

とは思えませんよね。


竹田圭吾さんが復帰した時期やその後の状況は!・・・】


その後、約4ヶ月ぶりとなる2014年2月に番組への復帰を果

たすのですが、その時出演した番組に写し出されて竹田圭吾さん

の激やせした映像に視聴者が驚いたんです。


以前はどちらかというと、体格が良く、ふっくらした感じの印象

だったのですが、肩幅は狭く、頬はげっそりとした印象ではなく

げっそりとしていたんです。


番組内でも当然、闘病や、病名などに触れることは有りませんで

したから、それが色々な憶測を呼ぶことになってしまいます。


ネット上では、心配する多くの声がある一方で、体格の良かった

竹田圭吾さんをあそこまで激やせさせた病は、いったいなんのか

という話題で騒然となっていました。

色々な病名が上がったのですが、現在ネット上では「骨肉腫」で

はないかということになっています。


しかし、この病名は竹田圭吾さん本人や関係者が公表した訳では

ないようですが、なぜ「骨肉腫」となってしまったのしょうか。


これは私の想像にすぎませんが、本人は自分が「骨肉腫」ではな

いかと思われていることはご存じだと思います。

しかし、表立って否定した事実がないんです。

ということは否定する理由がないということですよね。


後で触れますが「骨肉腫」は “がん” です、病名によっては今の

仕事に影響を及ぼしかねませんので、まったく違う病なら間違っ

た情報に対して訂正や反論なりをしても良さそうなのですが、そ

の様なことはまったくありません。


そういったことから想像するとやはりこの「骨肉腫」という病名

は事実ということのようです。

【 骨肉腫という病とはどんなものか?・・・】


骨肉腫は代表的な骨の悪性腫瘍 (骨にできる“がん”) で、腫瘍細胞

が骨組織を作るのが特徴とされいます。

全国で年間約200人に昇る新しい患者さんが病院を訪れている

ようで、主に10代に約半数、5~24歳までに3分の2の患者

が発症するなど、盛んに運動をしている「活動性の高い」少年期

を中心に発病するようです。


しかし最近では、50代や60代の方にもしばしばみられる病気

となり、部位ではとくに膝関節や肩関節に近いところから発生す

るようですし、まれに全身の骨に発生した多発例も報告されてい

るようです。


発症したことに気付かず放置すると、腫瘍の増大に伴って腫瘍細

胞が主に肺に到達して腫瘤(しゅりゅう)を作ってしまうというや

っかいな病です。


【 骨肉腫という病の原因や生存率とは?・・・】


この骨肉腫という病は、はっきりとした原因は現在でも分かって

いないのが実情のようです。

ごくまれに家族内の発生がみられることから、がんを抑える遺伝

子の異常が関与しているという報告がありますが、やはりそれ以

上は解明されてはいないようです。


骨肉腫の生存率については、これまで5年は10~15%程度だ

ったようですが、その後、化学療法(抗がん薬)の発達によって

生存率は著しく改善され、現在ではなんと3分の2以上の患者さ

んが治ると言われています。


1980年以前は、診断がついた時点でなるべく早い段階で腕や

足の切断術が行われていたようですが、現在では手術療法も切断

術から腕や足を残して切除する方法へと移ってきています。


ただ、すべての患者さんが同じように化学療法が効くわけではな

いようですので、やはり早期発見による早期治療がこの病では一

番大切なようです。

 

今までお疲れさまでした。
ご冥福をお祈りいたします。

 

という方で、最近芸能人の激やせや余命報道が続いたことで過去

にあった重病説の報道がクローズアップされたようです。


又かつらについても抗がん剤の治療のよる脱毛なのでは?とも!

今回そんな竹田圭吾さんの噂になっている、病気の余命について

調べて見たいと思います。