福士エントリー強行 結局モメる女子マラソン選考

日本陸連の麻場強化委員長は、野球やサッカーでいえば監督だ。監督が「リオに集中してほしい」といっているのに、なぜ福士側は強行出場を目指すのか?

 代表決定のプロセスは、強化委員会が素案を作り、理事会にはかって正式決定する。現場の長である強化委員長(監督)が決めたオーダーは何よりも優先されるべきものだが、陸上界ではしばしば理事会によって、素案が別の案に差し替えられることがある。監督がいくら選手に「お前を使うから」と言っても、その監督の力が及ばないところでひっくり返されれば、選手にとっては後の祭りだ。

 

●「競技会」が乱立

2016年1月の大阪国際女子マラソン福士加代子選手が優勝しました。このレースはリオ五輪の代表選考会も兼ねておりリオの舞台へ「大きく前進」と報じられました。でも内定ではありません。

現代のマラソンは、42.195キロは男子が2時間6分台、女子も2時間22分台を目指さないと世界のトップは望めません。これは50メートルを10秒弱で駆け抜ける計算になります。

文部科学省の体力・運動能力調査結果によると、16歳男子の平均約8秒7、女子が約9秒なので、ふつうの高校生がほぼ全速力で50メートルを走り、その勢いのまま42.195キロ、つまり50メートルの約844倍を完走するという途方もない行為なのです。したがって、もとから故障しても当然という過酷な環境である上に、人気競技であるためか、選考制度にも問題を抱えています。一番の弊害は「代表選手選考競技会」の乱立でしょう。

代表は男女とも3枠あります。まず世界選手権で入賞(8位まで)した日本人のうち最上位者が内定します。世界選手権は五輪に匹敵する大会なので、そこで実力を出した者というのはわかります。該当者がいれば残りの枠は「2」です。

国内の選考大会は男女とも3つ。いずれも日本人3位以内が選考対象です。うち日本陸連設定記録(男子2時間6分30秒、女子2時間22分30秒)を突破すれば優先的に選ばれ、残りは順位やレース展開などから「総合的に」判断するという決まりです。福士選手のタイムは2時間22分17秒で設定記録を上回りました。それでも内定が出ないのは、選考レースである名古屋ウィメンズがまだ残っているから。そのレースで福士選手のタイムを超える日本人が2人いたら理論上、彼女は落選しかねません。そこで福士選手が名古屋にも出ると表明、日本陸連は2月、「出場するのは避けてもらいたい」名古屋で福士選手の記録を複数上回る事態は「想定されない」と発言しました。でも「想定」外が起こりうるのも事実です。

なぜ最もシンプルな米国式の「一発勝負」にしないのか。確かにたまたま実力を出し切れなかった有力者が五輪への切符を逃すのは損失だという考え方に一理あります。一方で選手の負担だけを考えたら、一発勝負の方がいいはずです。

現在の国内選考レースは以下の通りです。

【男子】福岡国際、東京、びわ湖毎日

【女子】さいたま国際、大阪国際女子、名古屋ウィメンズ

●多数回開催はマスコミの都合か

つまり世界選手権での内定者を除いた「2枠」に3レース。理屈の上ではうち日本人上位者各々3人の計9人が争うという形になっています。一方で、選考会で日本人トップでも出られないという不都合が生じる可能性がある、きわめて問題の多い制度といわざるを得ません。リスクを回避するためにトップランナーは福士選手のように多くの大会への出場を余儀なくされ、それが故障につながる可能性にもあるのです。

どうしてこれほど多数の代表選手選考競技会があるかというと、主催しているマスコミ(新聞社と系列放送局)が、「代表選手選考競技会」の看板がないと読者の獲得や視聴率の向上にメリットがないと考えているからだという説が根強くあります。事実、新聞社と系列放送局の組み合わせをみると、その説を十分に納得させる根拠があります。

【男子】

・世界選手権……TBSが独占中継

・福岡国際……朝日新聞テレビ朝日

・東京……読売新聞&日本テレビ(日テレが隔年中継)

・東京……産経新聞&フジテレビ(フジが隔年中継)

・びわ湖毎日……毎日新聞&NHK

【女子】

・世界選手権……TBSが独占中継

・さいたま国際……読売新聞&日本テレビ

・大阪国際女子……産経新聞関西テレビ東京圏だとフジテレビで中継)

・名古屋ウィメンズ……中日新聞東海テレビ東京圏だとフジテレビで中継)

とまあ、マスコミがきれいに棲み分けているわけです。

代表選手選考競技会の冠は世界陸上競技選手やアジア競技大会ならばまだしも、最も注目され、選手にとっても最大のイベントである五輪となれば重みが違ってきます。マスコミは当然視聴率や購買につながるから冠がほしい。新聞・テレビとも広告も期待できます。同じ主催者側にいる日本陸上競技連盟も目玉になる有力選手に出場してもらうには選考競技会の看板が便利でしょうし、さらにテレビ中継の放映権料が入ってくるとなれば、大会が多いほど潤うとなります。この結果、選手に負担を強いるばかりか「あいまいな代表決定方式」という課題も積み残されています。特に拮抗した結果の持ち主を、タイムで選ぶか順位で選ぶかです。

マラソンは他の陸上競技よりもコースの条件がまちまちで、当日の天気や気候がタイムに大きな影響を与えます。実際、女子は難コースのさいたま国際を避けて「いずれにせよこれで決まる」名古屋へ集中する傾向が現れています。そのため選出にはこれまで何度も物議を醸してきました。

●順位争いで混乱も出た

1992年のバルセロナ五輪の女子代表選びは混乱しました。この時は、世界選手権2位の山下佐知子選手と、大阪国際女子優勝の小鴨由水選手の2人はほぼ決定で、残り1人の椅子を世界選手権4位の有森裕子選手と大阪国際女子2位の松野明美選手が争いました。

まず順位からみると2位の松野選手の方が4位の有森選手より上です。タイムも松野選手の方が上回っていました。それでも成績が安定していて暑さに強いなどの理由で、選ばれたのは有森選手でした。

日本では、陸上においてマラソンは屈指の人気競技です。もともとは1万メートルなどのトラック競技の選手が一線から退いた後に始めるといった趣の強い競技でしたが、短距離や中距離で世界に及ばない日本は、早くからマラソンをメーンとする強化方針を打ち出し、五輪でもそれなりの結果を出してきました。陸上で一番メダルがねらえる競技なのです。

それにしても……と不思議にも思えます。いくらメダルがねらえるといっても、あの競技がどうして「見るスポーツ」として人気があるのだろうか、と。テレビに映っているのは単調な映像ばかりで、時間も約2時間半と長く、見栄えのする場面は数える限りです。一回もない場合もあります。

同じような競技で駅伝がありますが、駅伝の関係者にかつて「マラソンは落ちていく競技だが、駅伝は追い抜く競技だ」と聞きました。マラソンでトップ集団から離されるとまず返り咲けないけれども、駅伝は盛り返す可能性が大いにあり、その分だけ面白いという話でした。そういわれるとマラソンの魅力がどこにあるのか、一層わからなくなります。

一方で、マラソンを人生や商売の例えにする人が多くいます。「まだ折り返し点まで来ていない」とか「最後のトラック勝負まで歯を食いしばっていけ」などです。となるとマラソンを愛好する人は、そこに人生を見ているのかもしれません。

いったん人気競技の地位を得ると、マスコミにとってマラソンほど「おいしい」コンテンツ(番組内容)はなかなかないといえます。長いと敬遠させるはずだった約2時間半という時間は、一転して約2時間半も視聴率がかせげる優良コンテンツに、単調で見栄えのする場面もほとんどないという欠点は、いつでもCMが入れられるという利点に早変わりするのです。