【天才】U-15日本代表MF久保建英とは
U-15日本代表MF久保建英(14)が、飛び級昇格した東京U-18で公式戦デビューした。
24日、16年初公式戦となる東京都U-17選手権第1節セイスラージョス戦で後半16分から途中出場。中学2年ながら、高校2年がメーンのチームにトップ下として入った。ボールを受けると前を向き、落ち着き払ってプレー。スルーパスを狙いながら同33分には力強いドリブルから右足シュートを放ち、規格外のプレーを披露した。
スペインのバルセロナ下部組織から昨年5月に加入し今季から飛び級した。東京U-18の佐藤一樹監督(41)は「建英の可能性を伸ばしていきたい。でもいくら力あるからといって急ぎすぎてもよくない。慎重に育てていければ」。まずはユース年代最高峰のプレミアリーグ出場が当面の目標。順調にいけば、セカンドチームが参入するJ3での出場も見えてくる。19歳で迎える20年東京五輪のエース候補は、着実にステップアップしていく。
2020年東京オリンピックの男子サッカーでチームを優勝に導き得点王に輝くのは
この選手で決まりですね!
そうです!その選手は『久保建英』(くぼたけふさ)君。
あなたはこの名前を聞いたことがありませんか?
残念ながらクラブ事情によりスペインの名門『バルセロナ』を退団しましたが将来の
日本代表の絶対的エース候補です。
そんな久保建英君をいろいろ調べてみました。
今回は彼の父親や生い立ちについてやもう1人の天才少年である中井卓大君について。
さらにスペイン語ペラペラ動画もご覧ください。
久保建英のwiki風プロフィール!父や生い立ちは?
久保建英の経歴まとめ ~川崎フロンターレ時代~
2009年11月に2010年度の新小学校「3、4、5、6年生」対象の「川崎フロンターレ
ジュニアセレクション」に小学校2年生で受験し1次で見事合格。
このセレクションには全学年で約600人が参加しその中から新小学校3年生での
合格は久保君を含めたった3名だったとのこと。
そして2010年4月より川崎フロンターレ『U-10』に所属し4年生となった2011年5月からは『U-12』と練習していたという。
U-12時代の貴重な様子を当時の高﨑監督が語ってくれています。
バルセロナ時代
2011年9月からはあのスペインの名門中の名門バルセロナの下部組織
『カンテラ』でプレー。
それまでの流れとしてはまず2009年に横浜で開催された「FCバルセロナキャンプ」でMVPに選ばれる。
そしてキャンプのMVP特典でFCバルセロナスクール選抜に入る。
そしてベルギーで開催された「ソデクソ・ヨーロピアンカップ」に参加しここでも
MVPに選ばれる。
最終的にその時、チームを率いていたコーチの推薦で2011年4月に3週間行われた
バルセロナの入団テストに参加し合格。
といった流れです。
バルセロナに渡ってからもチーム得点王やトーナメント優勝者の立役者として大活躍。
しかし、2013年~2014年にかけてはバルセロナが外国人補強問題でFIFAから罰則を受け公式戦に出場出来なくなり2015年3月に退団し帰国。
この退団は久保君に全く非がない為とても残念なニュースでした。
それでも2015年4月にはイギリス紙『『Mirror』』が選ぶ「19人のニュー・メッシ」
たちの1人にランクインされた。